TOKYO ROPE RECRUITMENT 2019

WHAT'S WIRE ROPE?

STUDY 01

ワイヤロープのはじまり

 近代的なワイヤロープのはじまりは、今から180年以上前の1830年頃と言われています。
当時、産業革命が進む欧州では石炭や金属の需要が急増していました。
しかし、当時使用されていた麻ロープやチェーンでは損耗が激しく、突然切れる
危険性も高かったので、より丈夫なロープが必要とされていました。

 そこで生まれたのがワイヤロープです。ドイツの鉱山技師が工具を使用して鉄線を撚り合わせた
ロープを製作したのがはじまりと言われています。従来の麻ロープに比べて
強度面等の優位性が証明され、「切れないロープ」として急速に欧州に広まっていきました。

 日本においては、1866年に官営の横須賀製鉄所(横須賀造船所の前身)で幕府の
艦船用鋼索として繊維ロープを製造したのが、製綱業のはじまりです。

手取ヤーン(麻梳き)作業

明治初期、日本では「手取ヤーン」という作業で、原料の麻を長い針の山を反復通過させてスライバーという撚りをかけない糸をつくった。この方法は別名「三日月取り」または「イザリ取り」とも言った。

我が国最初の製綱機

1866年頃にイギリスから輸入された日本現存最古のロープ製造機械。日本の製綱産業発達の礎を示す資料と言われている。この製綱機は現在、東京製綱繊維ロープ株式会社(蒲郡市)に保存されている。

STUDY 02

創業者、山田昌邦の意志

 戊辰戦争(1868-1869)只中のこと。幕府の海軍士官であった一人の青年が、
榎本武揚率いる艦隊に身を投じ、兵隊を満載した輸送船・美嘉保丸の乗組員となりました。
しかし、函館を目指して出航した翌日、嵐に巻き込まれ、美嘉保丸を
曳航していた2本のロープが切れてしまい、多くの同志が命を落としました。
生き残ったその青年こそ、東京製綱の創業者である山田昌邦です。

 山田は教育者として明治新政府に出仕してからも、美嘉保丸の悲劇を忘れることは
ありませんでした。そして、「日本の近代化には、丈夫なロープが不可欠だ」という信念のもと、
ついにロープ製造に乗り出したのです。渋沢栄一の支援を得て、渡部温、
赤松則良とともに、1887年日本初の民間ロープメーカー「東京製綱会社」を東京・麻布に設立。
株主には渋沢栄一をはじめ、渡部温、増田孝、浅野総一郎など
当時の実業界の第一線が顔を揃えました。その後、横須賀造船所・製綱機一式も
東京製綱に払い下げられ、130年の歴史の第一歩を記しました。

創業者 山田昌邦

維新後、徳川家が開校した沼津兵学校で教鞭を執り、数学を指導するなどしたのち、38歳で東京製綱を設立。その10年後には、時期尚早の声を押し切ってワイヤロープ製造への進出を強力に指導した。

麻布本社工場

1886年3月に竣工。設計は中央停車場(関東大震災前の東京駅)や、日本銀行本店旧館の設計者としても有名な辰野金吾博士によるもので、東京製綱が近代的工場としていかに期待を寄せられていたかがうかがえる。

STUDY 03

「トータル・ケーブル・テクノロジー」の追求

 現在、東京製綱グループは、保有する商品群の多様性と、技術的な奥行きの
深さにおいて、他に類を見ないロープメーカーです。素材はスチールばかりでなく炭素繊維や
スーパー繊維も手がけ、製品のサイズは直径100ミリを超えるものから髪の毛よりも
細い極細ワイヤまで幅広く扱っています。用途についても、エレベータロープやクレーン、
ロープウェイはもちろん、道路安全施設など、実に多岐にわたります。

 当社グループは、「ケーブルの総合企業グループ」として独自の強みを発揮すべく、
中長期ビジョンとして“Total Cable Technology(略称:TCT)の追求”を掲げ、この強みを最大限に
生かして、今後ますます多様化・高度化・グローバル化が予想されるお客様の
ニーズに幅広く対応が可能な、世界でもユニークかつ競争力のあるサプライヤーとして、
次なる飛躍のステージに挑戦していきます。